真っ赤な夕映えの真ん中で太陽の陽が、哀悼の灯火の様に見えます。午後4時8分、被災地にサイレンが響いて多くの人が黙祷しました。東関東大震災の津波の恐怖は、島国日本にはまた起こらないとは言えない大災害です。そして火山列島でもある日本は火砕流も恐怖に変わりありません。雲仙・普賢岳の土石流災害から20年。昨日の6月3日は、長崎で追悼式典が行われました。
報道カメラマンが録らえた火砕流が襲ってくる様子。はじめて見たときにはとても怖かった。事故や災害の写真を、それまでに幾らも見せて貰っては注意されてきたけれども普賢岳の映像、山の形さえ変えてしまう恐ろしさを実感したのはその時でした。
長崎県の雲仙・普賢岳の大火砕流から20年となった3日、ふもとの島原市で、子どもたちが手作りのキャンドルに火をともして犠牲者を追悼しました。
この「いのりの灯」という催しは、大火砕流の犠牲者を追悼し、噴火災害を子どもたちに伝えようと、島原市にある雲仙岳災害記念館が毎年、行っています。3日は記念館の前の広場に遺族などおよそ2500人が集まり、広場に並べられたキャンドルに次々と火を灯しました。キャンドル作りには、島原市などの合わせて28の小中学校と幼稚園の子どもたちが参加し、ことしは大火砕流から20年となったことから、例年の2倍の2000個が用意されました。参加した女子児童は「亡くなった人たちが安らかに眠れるよう願って火をともしました」と話していました。雲仙岳災害記念館は、来年以降も子どもたちにキャンドル作りや催しへの参加を呼びかけ、噴火災害の体験を次の世代に継承していくことにしています。
via www3.nhk.or.jp
大きな犠牲を出したけれども火砕流が遅う映像1本で、何百回、何千回注意される以上の効果があると感じています。そして土砂で埋もれた街はおいそれと復活はしないこと、住人の生活基盤を戻せても土地が死んでしまっていることが20年を過ぎても感じられることが大きい。初めて見る子供たちもきっと心に刻みつけるほどでしょう。
夕日の写真は良く見ると青色と赤色が巧妙にずれていて、夕日が潤んで揺れている様。トイカメラ・モードで撮影したことが、思いがけない効果になりました。夕日が沈む方向に普賢岳があります。
写真は CX4( http://ow.ly/42pB1 )でクリエイティブモードのトイカメラでの撮影。それにフォトショップでロゴを加えてWeb用書き出しをして整えられているだけで画像処理はしていません。撮影時に1:1,16:9サイズで撮っている写真は7MB。普通のサイズで撮っている写真は、10MBの容量で記録しています。フォトショップでロゴを加えてWeb用に書き出しの際に最適化されるので、イメージサイズは3MB半ば前後のファイルサイズです。カメラで撮影したデータはiPhotoに転送後、日常的な内容の写真はカメラから消去しています。iPhotoのデータに問題があった場合のために、可能な限り高品位の状態でWeb公開しています。