めぞん一刻は時代の寵児だったのか? 昭和の当たり前の空間に開いた異世界との接点だったのか?

現代っ子(とは古い表現だけれども、デジタルネイティヴ)には「めぞん一刻」はどう思えるのでしょう。
内容的には(高橋留美子さんの経験不足なのか、読者にあわせて引きずられてしまっていたのかは分からないけれども)充分に大人の恋愛漫画とはなっていなかったけれども、大人の読者も獲得しようとした漫画ではあったと思います。
ただ、アニメ版のうる星やつらでも原作の漫画は少女マンガ要素を大きく含んでいました。テレビアニメ化されたことで中盤以降は、あだち充をヒットさせる橋桁になって行っただけのような思いもします。
コミックは一通り揃えたものの、わたしにしては結果持ち腐れになったものでした。

犬夜叉でも似たようなジレンマを残して終わらせてしまったように思えます。カゴメが現代に戻ってきたときの説得の無さ、こちらの方が現実の生活のはずなのにどこか夢の世界(あるいは表現はおかしいけれども、漫画の世界)のようでした。
現代の世界に妖怪が登場したとき。わたしは世界の広がりを期待したのですが展開不足。四魂の珠を集めるというテーマだけだったら、新展開もあったのでしょうが奈落の存在はボスキャラ倒しの、ドラゴンボールか聖闘士星矢のようになってしまって、わたしとしては「戦国御伽草子」の味わいが消えてしまった思いでした。
でも、このぎこちないルーミックワールドが「最終兵器彼女」などを導くものになったのではないでしょうか。
ガラスの仮面も長期連載があだになっているし、クレヨンしんちゃんも日常で勝負できるはずなのに映画での荒唐無稽な設定で感じられる通りサザエさんという不動の存在がある限り、、、

めぞん一刻のような世界は、もう日本のどこにもないんだろうか。昭和的な漫画の世界は時代の流れの中に消え去ったのだろうか。登場人物も、描かれる世界も現実とそう変わらない、超能力も飛び道具もない、近未来でも異世界でもない、そんな設定のラブコメ漫画は大ヒットはしないのかな。。。

、、、という事になるのかも知れませんね。